藤平正太の場合

横浜支社長 マネージャー 2012年入社

朝帰り、のち、支社長。

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高校時代、試験は常にクラスの上位。

勉強ができたわけじゃない。
ただ、自分で言うのもなんだけど、器用だった。
試験範囲が決まっているなか、
どうすれば点数を採れるかを理解していた。
だから範囲の決まっていない模試は受けなかった。
一夜漬けでは手の打ちようがないから。
受験したくなくて、推薦で大学に入学。
選んだ学部は、法学部。
法律の仕事がしたかったわけじゃない。
ただ、今後生きていくうえで世の中のルールを知ることができ便利かなと。
そうして入学した大学時代は、暗黒時代だった。

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親父は働いている。俺は。

大学時代の友達は、ほぼゼロ。
先生に友達のレジュメをコピーさせてもらえと言われて、
「友達がいません」と言ったら悲しい顔されたことを覚えている。
就活もせず、ずっとバイトをしていた。
その日も夜勤でバイト友達と飲んで朝帰りの道中。
たぶん6時ごろ、出勤途中の親父とすれ違った。
60歳を越えて、現役でバリバリ働いている。
自分は、朝帰りで酔っ払ってフラフラしている。
急に情けなくなった。
いつもはすぐ寝つけるのに、眠気がやってこなかった。
「就職しよう」そう思ったのは、自分への怒り。
大学4年の3月のとき。

3/6

卒業式に行かず、面接に行った。

なんでもいいから動こうと開いた就職サイト。
そこで今の会社を見つけた。
既卒・第二新卒を応援するというのが気になった。
自分と近い状況の人をサポートでき、客観的に弱い立場の方々の助けになる。
誰が見てもいいことをしている企業だ。
疑い深い性格の為か、逆に、怪しいな…という気持ちで説明会に行った。
その説明会で社長が「会社じゃなくて、自分のために働いていい。
ステップアップに利用すればいい」と言うものだから、
ますます自分と価値観が合うと思った。
卒業式と面接日がかぶり、自分は面接を選んだ。

4/6

面接では流れない空気が流れた。

正直、今でも入社できたのが不思議だ。
履歴書には、誤字がある。
面接で「弊社を志望した理由は?」と聞かれて
「この会社じゃないといけないことはないんです」と答えてしまう。
探り合うような面接が気持ち悪いし、ウソをつくのはもっとイヤだった。
もちろん、ヘンな空気になった。
「終わったな」と、そう思ってたら最終面接の連絡がきた。
最後の面接、社長に聞かれたことは2つだけ覚えている。
ひとつは、社長が奥さんと一緒に観るのにおすすめの映画。
答えたのは「ブルーバレンタイン」。
幸せだった夫婦の関係が年を重ねる中で破綻し、家族がバラバラになる話。
もうひとつは、なにか面白い写真は持っていないか。
ないから、見せなかった。

5/6

見返したい、自分を。

同期は6人。
みんな堂々としてて、自分だけキョドってて。
自分より優秀に見えた。
今だから言えるけど、
先輩から「こいつ大丈夫か?」という目で見られていたと思う。
だからこそ、プレッシャーなく仕事に打ち込めた。
返してやろうと。
周囲と、劣等感にまみれた自分を。
競争は好き。
小さい者が大きい者を倒すあの爽快感が好き。
誰よりもストイックに働いていたと思う。
運かもしれないけれど、1番最初に成果を出せた。
そうすると、周囲の目も変わっていった。
それが快感で、さらにのめり込んでいった。
「どうだ!」と思ったのは、周囲にか自分自身にかは分からない。

6/6

仕事は手段。ここで働きたい。

あるとき、思った。
結局自分に正直に生きる為には、いきつくところは社長になること。
だから、2017年に支社長の話をもらったとき、覚悟を決めた。
横浜支社だけで売上が立てられるようにして、一国一城の主になりたい。
別にかっこいい野望があるわけではない。
周囲にヘンな気を使って生きたくないから必死にやるだけで。
もし、別の会社入っていたとしても同じように頑張ってると思う。
じゃあ、なんでここいるのかと言われたら
一緒に働く人が単純に好きだから。
そういう意味では、先輩や同期には感謝している。
自分は、何をやるかより、誰とやるかを大事にしたい。

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